ガイドコース

標準ガイドコース10種類(①~⑩)と、ウォーキングコース4種類(A~D)の大まかな地図を示しました。各コースの魅力などについては、下段にコース毎の絵と解説文を掲載しました。

 

 氷川神社名の社は現在全国に二百八十数社を数えます。その総本社が武蔵一宮氷川神社です。氷川神社の御祭神は須佐之男命、大己貴命、稲田姫命の3柱です。須佐之男命は神話の「やまたのおろち退治」大己貴命は「いなばのしろうさぎ」に登場する主人公です。

 氷川神社は初詣から大晦日までの一年間に渡り、神事が催されています。一の鳥居から氷川神社までの長さは約2kmで直線の参道としては日本一の長さを誇ります。二の鳥居は高さ13mと関東最大級と言われており必見です。

  桜の開花の話が出てくると落ち着かなくなります。大宮公園は桜100選の公園で明治18年、県下4番目に設立されました。開設当時は野趣の風情から割烹旅館が立ち並び正岡子規や夏目漱石ら多くの文人が訪れ東京の奥座席と呼ばれました。 

 その後、本多林学博士達により現在のように、児童遊園地や動物園が出来て市民の憩いの場となり、また、昭和15年の幻の東京オリンピックの際には陸上競技場兼双輪場が完成しました。NACK5スタジアムは日本初のサッカー専用の競技場、水泳場、体育館も出来て、スポーツのメッカとして親しまれています。

 

 盆栽村は東武アーバンパークライン(野田線)とJR宇都宮線に囲まれた大宮公園北側にあり、盆栽の聖地として世界的に知られています。

 関東大震災の被災を契機に東京の盆栽業者が盆栽づくりに適した広い土地、新鮮な水と空気を求めて大正14年よりこの地に移って来ました。

 現在の道路幅や区画も当時造られたそのままが残り、道の両側には桜、紅葉、楓、ケヤキなどが植えられており、四季折々の木々の姿は訪れる人々の心を弾ませてくれます

 

 日本橋をスタートして板橋宿、蕨宿、浦和宿につづく四番目の宿場町が大宮宿です。江戸時代には本陣1、脇本陣9、旅籠25があり本陣と脇本陣を合わせた数は街道一でした。

 大宮宿の最大の特徴は江戸幕府によって新しく計画的に作られたことで、間口7間(12.7m)奥行60間(109m)の敷地が短冊状になって家が立ち並んでいたことです。

 当時の建物などはもうありませんが、短冊状の土地に建つビルから当時の面影を知ることができます。

 大宮で古刹として知られる普門院には、多くの著名人が眠る墓があります。幕末に勘定奉行・海軍奉行として横須賀造船所を建設した小栗上野介の招魂碑や小栗一族の墓、長崎奉行在任中にジョン万次郎の取り調べで寛大に処置した牧志摩守の墓などがそれに当たります。

 また、井伏鱒二はここをモデルにして「普門院さん」を執筆しています。このコースの途中には、蔦の絡まる大宮聖愛教会や明治30年に建てられた赤レンガ倉庫、準鉄道記念物である昭和13年大宮工場製造1号機のD51機関車などを見ることができます。

 新幹線のホームに立つと色々な車両が通り見ていて飽きません。大宮駅は北海道・東北・秋田・山形・上越・北陸とJR東日本のすべての新幹線が停車する駅です。そして、在来線においてもさまざまな路線が行き交う一大ターミナル駅です。

 しかし、明治16年に熊谷まで高崎線が開通したときには浦和駅の次は上尾駅で大宮駅はありませんでした。2年後の明治18年に東北本線が開通する時に分岐駅として大宮駅が開業しました。その後に北側に車両工場、南側に日本有数の操車場ができて鉄道に従事する人々も増えて「鉄道の街 大宮」として成長しました。

 

 2000年にまちびらきをしました。西側の操車場跡地に政府機関のビルが建ち並びまわりはアート作品の数々が、もてなしてくれます。

さいたま赤十字病院、小児医療センターも整い、さまざまな催し物が行われるスーパーアリーナもあります。

 東側の片倉製糸場等の跡地は、「コクーン(まゆ)」として商業施設に変わり、造幣局さいたま博物館もすぐ近くにあります。なお、駅と東西を結ぶ自由通路は、通産省グッドデザイン賞を受賞しました。

 与野本町は、甲州街道日野宿から岩槻を抜け奥州街道へとつながる脇往還が通り、人馬継立場として栄えました。鎌倉道の交通の要衝でもあった与野のまちは、毎月決まった日に開催される「市」で賑わいました。時がたち、「自動車のまち」として、その関連工場が多く立地していましたが、今では「文化的な風情と近代的な都市景観が共存するまち」へと変貌を遂げています。

 このコースでは七福神を巡りながら、演劇の世界「彩の国さいたま芸術劇場」やバラ園が人気の与野公園を訪れます。与野公園は明治10年に県下3番目に開園しました。3000株の薔薇・300本の桜で季節折々楽しめるコースです。

 ノーザンハートきたまちはステラタウン(商業施設)、プラザノース(文化施設)、北区役所、しましま公園、結婚式場、住宅展示場、自動車教習所等、多数の施設があります。シンボルは「メローベの塔」です。公園で遊び、買い物や食事、展示会、コンサートを楽しむ人々が集う憩いの場です。

 以前ここは寒村でしたが昭和7年に大宮競馬場ができ、日本三大競馬場と言われましたが、戦争が激しくなり中島飛行機大宮工場に変わり、敗戦を迎えると進駐軍が駐留の後に富士重工大宮製作所の工場ができました。シンボルタワーの煙突に「スバル」と書かれていたのを思い出す人も多いと思います。

 

 江戸時代のはじめに関東郡代の伊奈忠治が現在の川口市赤山に「赤山陣屋」を築きました。この赤山陣屋に向かう三本の街道の一つが赤山街道大宮道です。

 このコースの起点ではさいたま市指定文化財の永田陣屋長屋門と築地塀、それを取り囲む掘割を見ることができます。途中、徳川家康が北条氏の残党に追われて小休止を我慢したと伝えられる願満堂(がまんどう)や二つの神社が並立している二ツ宮があります。

 そして水判土観音、閻魔堂、慈眼寺(旧大宮市で最古の歴史をもつ)がコースの終点です。

 

 大宮にも、なんと!古墳群があります。側ヶ谷戸古墳群(そばがいとこふんぐん)は、大宮台地の西端、旧入間川、鴨川の自然堤防の上にあります。

 6世紀中頃から7世紀前半にかけてつくられたこれらの古墳は、消滅したものも含めると20基以上ありました。古墳群の中で最大規模の稲荷塚古墳は、現在大宮国際中等教育学校の敷地内にあり、登ることのできる頂部には稲荷神社が鎮座しています。

 古墳を結ぶコース上には、自然を満喫できる関沼木道などもあります。

 

 利根大堰で利根川の水を取り入れ延々60kmにも及ぶ見沼代用水は、さいたま市付近に広がる見沼田んぼを潤す江戸時代に開削された農業用水です。

 今では田んぼはほとんどなくなり畑などに転用されていますが、用水が農業に活用されていることには変わりありません。また近年は水道水の一部にも利用されています。

 用水に沿った道は、総延長20Kmを超える「散策できる日本一の桜回廊」として市民に愛され、付近には歴史ある寺社や史跡なども数多くあります。

 

 さいたま市を中心に広さ1200haにも及ぶ広大な緑地「見沼たんぼ」は、江戸時代吉宗の頃に開発されました。

 今では田んぼはほとんどなくなりましたが、首都近郊としては奇跡とも言える自然豊かな農地は、植木や野菜などの畑も多く、散策や農業体験など市民の憩いの場ともなっています。

 付近には、見沼の伝説が伝わる寺社も多く、またカワセミなどの野鳥や昆虫、植物などの自然を楽しみながら学ぶことができる「みぬま見聞館」などがあります

 

 JR高崎線宮原駅から徒歩10分、北区の西部を流れる鴨川沿いに「三貫清水緑地」という、木々に囲まれた地があります。

 三貫清水の名前は室町時代、江戸城等を築いた武将太田道灌が狩りに来たとき、村人たちがここの湧き水でお茶を点ててもてなし、その美味しさに道灌が三貫文の銭を褒美にくださったことからつけられました。

 また、緑地の中「鎌倉街道」が復元されていて、当時の街道の雰囲気を味わえる憩いの空間になっています。